二月に思う

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『そんなに人材がいないのですか?』、これが正直な印象です。幕末には、土佐にも、薩摩にも、長州にも、さらには江戸にも会津にも前橋にも、逸材がいたではありませんか。戦国期には、「群雄割拠」、信玄も謙信も勝家もいたではありませんか。

それなのに「令和の御代」に、人がいないのでしょうか。中国での話を、若い頃に聞いたことがあります。日本では、若者の発言は、ハナから聞こうとしないのに、中国では、若者の発言に、年長者たちが、〈一応〉ではなく、真面目に傾聴するのだ、と言う話でした。

私の息子を連れて、ある大会に出掛けたことがありました。会の途中の休み時間に、居室に戻ると、おじさんたちが将棋を打っていました。棋板を見ていた、藤井君ではない、4歳の息子が、『おじさん、違う、違うよ!』と言ったのです。差手が間違ってると言ったのです。それを聞いたおじさんは、それを聞いて考え込んだのです。いえ考え込んでくれたのです。そう、中国人をしてくれたわけです。

親の私がハラハラする前に、そんな接し方をしてもらった子が、今、そんなことがなかったかの様に、東京で働いています。相模原にも、鳥取にも、熊本にも、伊予三島にも、室蘭にも、優れた人材が育っています。国政を担える、企業を動かし得る、若者を立派に教育できる人材がいるのです。国の存亡の危機に、忽然と現れてくる人が、備えられています。

この世の現実は、順番待ちをしている人がいるのです。でも、《救国の士》は、人の思惑やご都合ではなく、月光仮面のおじさんの様に、忽然と現れて、疾風のように去って行くのです。一国、一町、一時代の危機の時に、そう、あのジョーイの憧れであった「シェーン」の様な人物です。ピストルを抜かずに、「知恵の籠もったことば」と「決断」とを駆使できる人です。

歴史の中に輩出した人は、その時代の要請に従って、出て来て、いつでもいました。そして事をなし終えて、舞台から降りて行きました。そう言った人が、備えられているのです。私利私欲によってではなく、公明正大で、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだって・・・ともに歩む、そう言った人が、世界中の名のない街にいるのです。そんなことを思う二月です。

(「土下座グラヒフィクス」によります)

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